2017年度第1回自立セミナー
「いのちに〇×をつけるの?」
~相模原事件・優生思想を考える~
2017年度1回目の自立セミナーは、2017年10月6日に「いのちに〇×をつけるの?」
~相模原事件・優生思想を考える~を開催しました。
講師には、DPI日本会議 副議長の尾上浩二さんとNPO法人自立生活センター・おおさかひがし代表の筒井純子さんをお招きし講演をお願いしました。
【尾上浩二さんの話】
相模原障害者事件と優生思想をテーマに話を進めていきたいと思います。
今回のテーマは、資料を読んで覚えて帰ればいいものではない、ひとり一人が自分の頭で考えるという事が大切である。そして、考え続ける事や発信し続けることが大事である。
平成28年7月26日、間もなく、1年3ヶ月が経過するが、いまだに、その衝撃やキズは、癒えないでいる。皆さんは、この事件をどのように受け止めたか一緒に考えていきたいと思います。
事件直後から、携帯電話やメールが鳴り響いてくる。ひとつはDPIとして声明を挙げないのかと、もうひとつは事務所からである。
共同通信から、事件について記事を書いてくれと言われ、「身もだえするような恐怖」という題でペンを走らせた。
逮捕され取り調べでは、警察に対して、容疑者は「障害者は、不幸しか作らないから障害者なんていなくなればいい」と言っている。その年の2月には、衆議院議長宛てに「私は障害者を抹殺することが出来る」との文章で始まる手紙を書いていたと報道された。
この事件の根底には、サブタイトルでもある、優生思想ということがある。
容疑者は、部屋を訪ね歩き返事がない所から、殺していった。私は、幼いころ、肢体不自由児施設に入所していて、もし私が狙われたら、ベッドに縛られた状態なので刺されていた。身体拘束のある施設は、閉鎖性があるので何かあった時に逃げられない。施設の密室性、閉鎖性がオーバーラップした。それが、「身もだえするような恐怖」である。手紙は、引用するのも躊躇する内容だが、「私の目標は、重複障害者の方が安楽死出来る世界です。」と書かれている。さらに「戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生み出すが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることが出来ます」とあり、障害の有る無しで生命を選択し、障害者は殺されて当然とする考えに立っていることが分かる。こうした考えを、優生思想というが、この事件はまさに優生思想である。そういったことから、共同通信から、優生思想批判をちゃんと書いてほしいと要望があった。でないと容疑者の真似や便乗した考えの人たちが出てくる。
私は、18歳から障害者運動に参加しているが、来年で約40年。障害者権利条約から差別解消法まで少しは前を向いたかなと思うが、社会から見れば障害者がいくらがんばっても一緒だと。ショックである。
ある時、知的障害の知人からメールがあり「尾上さん、心が壊れそう」というメールが届いた時は、悲しくて涙が出た。
もしくは、障害者運動をされている方は、ニュース番組が見れなかった。あるいは車椅子利用者は、満員電車で「すいません」と道を空けてもらう事が出来なかった。事件のあと電車に乗るのが怖くなった。もちろん、最大の被害者は、殺された19名の方やケガを負わされた27名の方々ですが、当事者を含め関係者の方に、深い傷を負わせた事件である。
「事件の概要」
2016年7月26日2時頃、県立の指定管理施設である障害者支援施設「津久井やまゆり園」に、刃物を持った容疑者(当時26歳)が侵入し、入所者43名、職員3名が刺されるなどして19名(男性9名、女性10名)が死亡、27名(男性22名、女性5名)が負傷した。当日、園には、入所者157名(男性99名、女性58名)が在園していた。容疑者は、犯行後、津久井警察署に出頭し、犯行を認めたことから、建造物侵入及び殺人未遂で緊急逮捕(翌日、罪名を殺人に切り替え、横浜地方検察庁に送致)された。容疑者は、園の元職員であり、2012年12月1日から2013年1月31日まで非常勤職員、翌2月1日からは臨時的任用職員、2013年4月1日より2016年2月19日まで常勤職員として勤務していた。
「事件の背景にある優生思想」
容疑者が、2016年2月に衆議院議長宛に出した手紙は、「私は障害者総勢470名を抹殺することが出来ます」との書き出しで始まる。「保護者の疲れ切った表情、施設で働いている職員の生気のかけた瞳・・」「障害者は人間としてではなく、動物として生活を過ごしており・・、車いすに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍くありません。私の目標は重複障害者の方が・・保護者の同意を得て安楽死出来る世界です。」と書かれている。「日本国と世界のため」、障害者抹殺の必要性を解き、議長や首相に理解を求める。
手紙はさらに、「作戦内容」として「重複障害者が多く在籍しているふたつの園を標的とする」と、津久井やまゆり園ともうひとつの施設名を名指しした上「職員の少ない夜勤に決行」「見守り職員は結束バントで見動き、外部との連絡をとれなくします」等と記載されており、ほぼその内容に従って実行に至ったことが伺える。
上記こそが、優生思想に基づく行為に他ならず、私たちDPI日本会議はここに強い怒りと深い悲しみを込めて断固として優生思想と闘っていくことを改めて誓う。
一人の記者が、「DPIとは、どのような団体なのか。障害者の権利に熱心に取り組んでこられたと聞いていますが、その立場からコメントをお願いします」と。また、「知的障害者人権と精神障害者人権を両立させることは難しいのでは?」と言う。私は、「自らが希望して施設に入所して平穏に過ごしていたのか。あなたが勝手に決めつけないで下さい。」と言った。今回の事件は、精神障害との因果関係は明らかにはなっていない。明らかに分かっているのは、優生思想が根幹にあり、それを許すような措置があるということ。
事件後まもなく厚生大臣が措置入院制度のあり方の見直し発表を出した。
仮に、彼が通っていた保育所、小学校に犯行計画を警察や政府にだして数百名の命を奪ったら、警察や政府はなにをしていたと袋叩きにあうだろう。なぜ警察の責任は不問にされているのだろう。警察は、論点をすり替えることで、措置入院の問題にしたのではと思う。この問題は、措置入院の入り口の問題ではないのかと言われている。
これから、優生思想について話していきたいと思います。
彼は、障害者とどんな出会い方をしたのか?学校では、入所施設ではどうであったか?
しかし、未だに障害者を冒涜する発言をしている。
優生思想を広く受け入れてきた社会・・・決して「ナチス時代の過去の出来事」ではない、1996年まで続いた優生保護法、16000件以上の被害者(強制不妊手術)に謝罪・補償無し。中絶を入れると、80000件に上る。「障害児を減らせばいい」「いつまでタラタラ生きているのか」といった政治家等による暴言。「尊厳死」法案、新型出生前診断・・・
優生保護法は1996年に廃止された。障害児殺しなどの、肯定する考え方との闘いからだった。岡山県・療護施設で「子宮摘出により情緒と介護安定」とのレポート。好事例として挙げられた。これに関しては、謝罪した。2004年に神戸在住の女性が妊娠をしたが医者からの言葉は、「中絶しますか?」これは、社会の常識、医者の常識である。
被害者の匿名報道、19名の障害者の事は、何ひとつわからないまま、うやむやになっている。障害者を隠して生活する、地域社会とはなんだろう。
神奈川県の対応は、事件のあった場所に160名の入所施設を建て替えるという、「家族の意向を聞いたから、本人の意向は聞かなくていい」何十年前の話をしているのか傲慢な考え方だ。優生思想克服に向けた取り組みとして重要な優生保護法の被害者への謝罪・補償、施設からの完全な地域移行計画と地域生活支援の飛躍的拡充を。誰も取り残されない社会を。わけ隔てることのないインクルーシブ教育の推進を。最大の「再発防止」は、地域で暮らしている姿を具体的に示していく事である。
【筒井純子さんのお話】
事件から、一週間ほど経過したころ、自転車に乗った30代とみられる男性から不意に道端で「あんたは、大丈夫やな」と言われ、「歩けてるし、帽子も似合ってるし、大丈夫やな・・・」一体何事かと思った。よくよく考えると、相模原障害者殺傷事件の事だと思った。そういう所で、命の選別をしている。背筋が凍る思いでした。
話のほとんどを尾上さんにして頂いたので、私は「忘れてほしゅうない」を上映させていただきます。
「忘れてほしゅうない」について
佐々木千津子さん(3年前に亡くなられた)は広島に住む女性、生まれてすぐに脳性まひになり、30数年前に、施設に入所する際、「生理の始末が大変だ」という理由で、何の説明もなくコバルト60による放射線照射を受けるように言われ、強制不妊手術をされた。20年前に施設を出て、全介助を受けながら猫と一緒に自立生活を送っていたが、ずっと後遺症に苦しんできた佐々木さんは、自分や多くの人たちの痛みや辛さを「忘れてほしゅうない」と語り、同名のDVDを作られた。
それを見た人も、これから見る人も、知らなかった人にも、すべての人の問題としてぜひ一緒に考えてもらいたいです。
自立生活運動の視点という資料ですが、これはごく一部であり、本当に、氷山の一角です。
1970年5月に、横浜市で2人の重症障害児をもつ母親が2歳になる下の子を絞殺した。これに対して減刑嘆願運動が起きる。1970年7月この事件に対し「青い芝の会」神奈川県連が厳正裁判要求の意見書を提出、1971年10月8日判決、懲役2年、執行猶予3年。判決は軽いものでしたが、「障害者は殺されても仕方のない存在なのか?」と問題提起を行い、社会的に大きな意味をもたらしました。
また、1974年12月に兵庫県で知事が「不幸な子どもの産まれない運動」のPR番組を製作。それに対して抗議行動で阻止。「不幸な子ども」とは、だれが決めるのか?障害児は生まれる前から、不幸になると決めつけ、生まれることも許されないのです。幸か不幸かは個人の価値観の問題であり、誰にも決められないものです。この「不幸な子どもの産まれない運動」は、傲慢な優生思想だと思います。
次に出生前診断についてですが、日本で現在行われている出生前診断には、エコー検査、羊水検査、絨毛検査、臍帯血検査、母体血清マーカー検査があります。母体への何らかのリスクを伴い、あくまでも割合で、何パーセントの確率で障害児が生まれるかどうかということです。今現在は、ダウン症に関してほぼわかる検査もあると聞きます。障害児であれば、なんとか中絶させる方向にもっていく日本の医療のありかたがあります。確率的に障害児だとわかれば、カウンセリングもありますが、障害者が行うカウンセリングはありません。カウンセリングのあり方も問われています。
10年以上前から、大阪女学院で人権教育講座をしています。その中に、障害者分科会があり、2日間話をする機会があります。優生思想、出生前診断をお話しさせて頂きます。
話をする前に、自分が妊娠をして、その子供が障害児になる可能性があるとしたら、あなたは生みますか?と聞くと、9割の方が「私は生みません」と答える。どうやって育てたらいいか解らないので、可哀そうだから生まないと。
2日間話をさせて頂き、同じ質問を投げかけたら、6割の方が「やっぱり生みます」と答えてくれます。なぜ考え方が変わったのか、それは「障害者自身が語るから」だと思います。みなさんと同じですよと、同じ空間にいますよと語り続けることが大事です。
当事者が訴えていく事が大事なのです。